怒涛のロードマーベル攻撃の合間もおさーんの探求は留まることを知らない。
毎晩インターネットで時計について様々な情報を確認するおさーん。

セイコーの歴史もあらかた遡り、到達点にたどり着いたかと思いきや、ここでふとおさーんは考える。

創始者の服部金太郎って、時計の修理技術学んで、自分で修理屋始めてんだよな最初。
んで服部時計店開業して、外国製品の輸入・販売を行いつつ、自らの会社で国産時計の開発を始めたと。じゃ、セイコーが時計作る前、その頃の外国の時計ってどんなん?

もうさ、セイコーの時計どころではないよねこれ。まだセイコーが時計作ってないんだもん。
おさーんはどこ行っちゃうのか。

この時代、既に今から100年前をとっくに超え140年ほど昔の話である。服部時計店の開業は1881年。当時腕時計は既にあったのかもしれないが、まだまだ多分一般的な時計ではない。このころの時計と言えば、ポケットウォッチと呼ばれる懐中時計だ。

また、ある時計屋さんのブログに書かれた興味深い記載を見つける。文面は忘れてしまったが確か以下のようなことが書いてあった。

「100年以上前の時計は今でも問題なく直せるが、以降小型化されてしまった時計(70年前くらいから)は直せない。」

ぬ?高い時計は一生モノとかいうけど、一生なんか到底使えんと。なんで?

おさーんは今もせっせと古時計収集に明け暮れている。もう50年から60年前の骨董品。
それはちょうどここで言う、直せなくなる境目以降のモノばかり。これがそのうち直せなくなると。部品の話だという事はなんとなくわかるがなぜなのか?

それは非常に興味深い内容であった。そして、さらに歴史を読み進めると、なんというか、こう単なる時計の話なんだけど、時計ひとつとっても、歴史を垣間見ると、近代世界の縮図というか、まぁ世界情勢に通じるものがあったりなかったり。

欧州メーカーのしたたかさ、とんでもねぇ。

次は、そのあたりの歴史的なところを少し書いてみたいと思う。