というわけで、ほんのちょっとだけディープな歴史を垣間見てきたおさーん。もしおさーんが懐中時計を選ぶとするなら、ブランドはいったん置いといて、やはり手頃で品質も良いものが良いかと思う。となれば、今のところアメリカ製の懐中時計か。
もちろん、ほんのさわりしか見ていないおさーんの個人的な趣味嗜好なので、ド素人の戯言と笑ってスルーいただければと思う。

スイスメイドやそのほかの欧州製は、手の込んだムーブメントやケースのエナメル装飾など、創造と知恵を凝らした時計はとても見事で素晴らしい。その反面、あまりに奥深いうえに、絶対額も手に届く範囲ではない。素人危険近づくなの臭いを感じるのである。
その点アメリカ製の懐中時計は、品質も良く数が豊富。なにより価格がお手頃で、小遣い範囲のおさーんでも手が届くものが結構ある。
そんなわけで、アメリカ製の懐中時計だけでも、今のおさーんにとっては充分すぎるほどだ。また、大量生産のおかげか、軽く100年を超えるものが大量に現存しており、状態が良いものも数多く残っている。

◆懐中時計の魅力とは

さて、そんな懐中時計の魅力には、大きく2つポイントがあるかと思う。
  1. 丈夫な作りで今後も実用品として長く稼働させることができる。
  2. 長い歴史がもたらす知恵と創造が詰まった機械は、腕時計には無い素晴らしさと贅沢さを持つ
アメリカ製の懐中時計はこれに加え、
  • 数が豊富で価格もお手頃なことから、入手しやすく初心者でも手を出しやすい
という3つ目のポイントが加わる。

1.丈夫な作りで今後も実用品として長く稼働させることができる。

懐中時計は一般的に部品点数も少なく、部品自体も大きい。さらに、もともと耐久性を考慮した造りとなっており、修理し長く使うことを前提で作られているらしい。このため、部品の供給など全く期待できない現在においても修理ができるそうだ。時計修理技能士なら、部材から部品を作り出して直せるらしいのだ。
何それ怖い、部品作っちゃうの時計修理技能士って。

前の記事で書いた「旧い腕時計は直せないが、懐中時計なら100年はおろかその前のモノでもちゃんと直せる」というのは、こうしたことを、やや誇張を含めて表現したものらしい。
当然のことながら、エレクトロニクスの無い世界において人手で作っていたものなので、今も同じやり方で作り出すことができるのだ。

だが、これをもとにさらに小型化した、その後の腕時計はそうもいかないようだ。実は腕時計も、当初は懐中時計と同じように丈夫で頑丈な作りだった。つーか、そもそも懐中時計の小さいものにベルトを付けたものが腕時計の始まりだ。(当時は女性向け)
第二次世界大戦後、腕時計が本格普及し小型化・高機能化・高精度化されてくると、部品製造も機械化され、超精密化高精度化していく。これはさすがに時計修理技能士でもなかなか大変なようだ。
エレクトロニクスと最先端の工作機械を駆使し、大量生産前提で作られたものは、人手による少量生産がかなり厳しいということか。
もちろん、スイスの高級メーカーのように、創業以来全ての時計を直すことを謳うメーカーも存在するが、その対価は非現実的なものだ。
3Dプリンタが進歩し、金属が研磨された状態で、部品を安く生成できるようになるなら話は別。だが、そうでもない限り、壊れた腕時計は、部品が枯渇すると、直せなくなる可能性が高いということだそうな。(もちろん金に糸目をつけなければやれるだろうけどね)
懐中時計もさすがに人手もコストもかかるだろうが、まだ現実的な範囲で、部品も人手でなんとかできると。なるほどね。

2.長い歴史がもたらす知恵と創造が詰まった機械は、腕時計には無い素晴らしさと贅沢さを持つ

そしてもうひとつの大きな魅力。とにかくムーブメントの造りや仕上げが素晴らしい。時計の中身を知らない人でも、「よくわからんがこれは凄そうだ」と、ひと目でわかるのではないかと思う。
それまでは腕時計でも充分楽しめていたおさーんだったが、歴史探訪のなかで見つけた懐中時計の高級品は、正直なところちょっと別格であった。
今の腕時計は、どちらかというと見た目が贅沢。懐中時計は造りが贅沢。残念ながら現在において、その贅沢な造りを実現するのはまず無理だろうと思ったりする。(技術的ではなくコスト的に)
また、それまでの長い歴史において、時計には常に人類の英知が注ぎ込まれてきた。懐中時計産業の中心がアメリカへ渡るずっと前に、現代時計のほぼすべてが具現化されていた。
耐震装置、クロノグラフ、万年カレンダー、音によるアラーム(ミニッツリピーター)といった機能は優に及ばず、トゥールビヨンといった現代でも作るのが大変かつ、とても高価になる機能が実装されていたそうだ。こんなもん数百年前から存在するとかまったく知らんかったわ。

また、こうした技術が注ぎ込まれた懐中時計は、精度においても素晴らしい。まともな機械でちゃんとメンテナンスしてあれば、たとえ100年を優に超えるアンティークであろうとも、今も相当の精度で動く上に、普通に実用できるとのこと。

まったく驚きである。開いた口がふさがらないとはこのことだ。

アメリカ製の懐中時計は鉄道時計に特化しており、そのほとんどに複雑な機能は搭載していない。だが、絞り込まれた機能はシンプルなれど、精度に関しては折り紙付き。また、目で見てわかりやすい派手さと贅沢さが特徴。さらに、数が多いことに加え、普通の物なら市場価格もわりとお手頃。
アメリカ製ハイグレードムーブメントのサンプル画像を貼っておく。なるほど大きな機械は見応え抜群。知見のないおさーんでも「すげぇなこれ」と思わず声が出る。

Waltham Riverside Maximus

※サンプルはウォルサムの懐中時計 Riverside Maximus の画像一覧、アメリカ懐中時計の代表的なモデルのひとつとのこと
※なお、アメリカ物のこのクラスは、信頼性や精度が高いだけでなく、造りの良さや部材から見て、懐中時計の中でも相当お値打ちかと思います。
だがその絶対額は、おさーんにとって手が出るレベルにありません。

◆おさーんにとっての懐中時計

少し誇張が過ぎるかもしれないが、懐中時計とは、時間という概念に対する、人類の歴史的な英知が詰めこまれた機械の最終形なのだとおさーんは感じる。一方腕時計は、懐中時計の進化形ではなく、手軽さや使い勝手といった部分を主体に、懐中時計の一部機能がテクノロジーにより進歩し、広く普及したものなのだろうと思う。

懐中時計が持つもののうち、腕時計への移行に際し捨て去られたものもある。だが、これと同時に利用する人々が、一部の限られた人々から一般庶民へ移り変わったことで、そうしたものもいつしか忘れ去られたのだろう。「こんな世界があったとは」と、感じたそうしたものが、いつしか忘れられた魅力の一部なのかもしれない。

だからというわけでも無いが、この際ひとつふたつ懐中時計を狙ってみたい。だが、ここに嵌ると最後な気もする。元の世界に戻ってこられないかもしれない。
また、アメリカ製品群はお手頃とは言え、それなりに良いものは、ロードマーベルなどとは比較にならない価格帯。ヘタに嵌ればお財布地獄へ一直線。←というかハマるほど財力はないけど
こうしておさーんは、腕時計の奥底に別に広がる素晴らしい世界の存在を認識し、しっぽを巻いて逃げ帰ったのだった。

これ以降おさーんは、自分に対して「時計好き」という言葉は一切使わなくなった。
現代時計すら良く知らんおさーん。過去含めて知識なく何も知らないド素人が、恐れ多くて時計好きとはよう言わん!

◆結局のところ

というわけで、おさーんは結局、さらっと懐中時計に触れたは良いが、アメリカだけでお腹いっぱいに。そして、これ以上踏み込むのはヤバイと危険を察知。アメリカ物のウォルサムだけをさらっと見たあげく、「今日はこの辺で勘弁しといたるわ!」と踵を返し逃げ帰った模様。