さて、前回2回に渡り、セイコーの60年代後半のカタログから、キングセイコーを中心として、機械式腕時計の終焉までを追ってみたが、今回はもう少し前の1963年のカタログを題材にしてみたい。
カタログの表紙はこんな感じのもので、店舗の宣伝用に配布された簡易的なものだろうと思うが、この古いカタログから得られる情報がなかなか面白い。

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こちらのカタログも1年以上前に海外サイトから拾ったもので、確かPlus9Time.comだったと思う。国内ではこうした情報はほとんど拾えないのがホント残念。今やこうしたなんでもないものが、ほとんど海外からしか得られないのは悲しい話だが、まぁマスメディア含め国内メーカー時計をとりまく状況を見ればさもありなんか。
1963年というと、セイコー腕時計はかなり豪華絢爛な時代。それこそ、マニア垂涎のヨダレ物がゴロゴロだ。このカタログは、置時計・掛時計・腕時計(男性モノ・女性モノ)とフルラインだが、今回は男性モノの腕時計のみ取りあげる。ではいってみよう。

◆高級機ライン

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さて、一番上段が高級機ラインだ。まーなんと豪勢なラインナップなことよ。
左から、グランドセイコーファースト・ライナークロノメーター・キングセイコーファーストとこれ以上ないラインナップ。

見づらいので、高級機ラインのみ拡大してみよう。

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グランドセイコーの次がライナークロノメーター。グランドセイコーもクロノメーターなので、クロノメーター群が序列最上位ということか。獅子マークでおなじみのメダリオンだが、この当時はグランドセイコー専用ではなく、クロノメーターと名の付く時計全てに付いていたのはよく知られたお話。
そして、序列二位のグループがキングセイコーだ。キングセイコーはラグの形から、後期ケースであろうと思われる。
さて、ここで着目するのは文字盤マークである。グランドセイコー以外はAD文字盤なのがわかるだろうか。序列一位のクロノメーター群でもグランドセイコー以外はAD文字盤なのだ。
このカタログと現存する実機から察するに、キングセイコーの文字盤は後期ケースの途中で切り替わったもの思われる。後期にもSD文字盤が無いわけではないが、数は少ないと思う。なおライナークロノメーターは1963年発売なので、最初からSD文字盤は存在していないのではないかと思う。
このころから、セイコーはおそらくブランディングを意識し、統制を始めたということか。

◆準高級機と最新多機能モデル群

では、次のページ。ここに見開きで準高級機や最新の多機能モデルが並ぶ。そのラインナップは圧巻だ。

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カタログ左上一列が準高級機ライン、右上一列が自動巻。そして右下一列が、当時最先端の防水・自動巻・ウィークデーター群。

◆準高級機ライン

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準高級機ラインである。中期ロードマーベルにゴールドフェザー、クロノススペシャル、クラウンスペシャルという豪華なラインナップだ。ロードマーベルが最も左なのが嬉しいぞ。
クラウンスペシャルのみSD文字盤となっているが、AD文字盤化が間に合わなかったのだろう。他は全てAD文字盤(ゴールドフェザーは文字盤マークなし)。ここでも文字盤はランクが下げられていることが明確だ。
クラウンスペシャルは、一部ではグランドセイコーに次ぐといった話も耳にしたことはあるが、単一の製品だけを見ていては、商品の置かれた状況や販売施策がわかりにくい。少なくともカタログから見る限りこうした序列が付けられるようだ。

◆当時最先端の高機能自動巻

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続いて右下の最先端自動巻群。マチックセルフデーター39石、マチックウィークデーター33石と最新の時計が並ぶ。自動巻・最多石・防水・カレンダーと時代の最先端であり、群を抜いて贅沢かつ高価格な商品群だ。グランドセイコーより多石でキングセイコーより高価格と、このページでは際立っている。だが、こちらも文字盤はAD文字盤。
おさーんは以前セルフデーターとウィークデーデーターのSD文字盤を探したことがある。あれだけの高機能と贅沢さを備え、高価格であるのなら当然SD文字盤が存在しただろうと思ったからだ。だが、このカタログを見たときに、おそらくAD文字盤しか存在しないこと(注)と、その理由がわかった。
登場時期がちょうどブランディングコントロールが始まった頃と重なっていたということだ。

※(注)※
発売初期に限られると思われますが、マチックセルフデーター39石にはSD文字盤が存在するそうです。お持ちの方からご連絡いただきました。(本記事のコメント参照)

◆SD文字盤が無くなったのは(勝手な妄想その1)

ここまでみてもらうとわかるように、この時期既にSD文字盤を持つのはグランドセイコーのみである(まぁ一部まだあるけど)。ここからはおさーんの勝手な妄想だが、かつて贅沢さを示すための文字盤マークが無くなったのは大きくふたつの理由ではないかと思う。

①ブランディングによりグランドセイコー以外にはっきりとした順位付けを行った
グランドセイコーを頂点とする順位付けを行うにあたり、わかりやすく文字盤マークの格下げを実施した。その後、グランドセイコーもSD文字盤じゃなくなったとのお話しなので、文字盤マークの意味もなくなり伝統は消え去ったということだろう。

②コストダウンのため
折しもこの時期は高度成長時代の真っただ中である。経済が成長し所得は増え消費が拡大している時期。原材料費や製造コストも(人件費)上がっただろう。とはいえ簡単にポンポン値上げもできないとすれば、意図的にモデルサイクルを早め新製品に価格追従させるか、コストダウンを行うしかない。金無垢を使うSD文字盤はコストがかかるので、付加価値が必要な高価格帯以外はとっととやめたかったのではないだろうか。グランドセイコーファーストもAD文字盤になったらしいが、その理由もコストダウンだろう。というわけで、①より②の方が強いと思われ。

◆1960年代初頭という時代背景(勝手な妄想その2)

このカタログは1963年のものである。1963年とはどんな時代か。おりしも高度成長期真っ只中。翌年の1964年は新幹線が開通し、成長の象徴となる東京オリンピックが開かれた年だ。戦後復興後、日本全体が国を挙げて邁進していたまさにその時。モノが大量に作られ消費されていく。急激に商品ラインナップも拡大していくが、それを受け入れるだけの消費力があったのだろう。
セイコーの腕時計工場である第二精工舎と諏訪精工舎は、それぞれの会社に閉じて開発を行い、ともすればグループ内競合となるような商品展開を行っていた。だが、このころはそれでも作ればバンバン売れる時代で、実は問題なかったのかもしれない。
この結果、セイコーはこの後わずかな期間で急速に世界の頂点に並び立つ。時代といえば簡単だが、こうした時代背景が、急激な成長と商品拡充を推し進めたのは間違いないと思う。

とまぁ、以上はいつものおさーんの勝手な妄想である。
当時ならどこにでもありそうな古いカタログ一枚。簡単に捨てられてしまうようなものだ。だが、たった1枚のカタログは、当時の状況を慮るのに、現在ネット上に転がるあらゆる情報よりも、はるかに貴重な情報とそれを得られる楽しみを提供してくれたのだった。